徒然草の第112段を現代語訳してみたら超名言だった!孤独を感じる人・人間関係に悩んでる人必見!
僕は会社の飲み会はありとあらゆる手段を使って断ってきました。単純に行きたくなかったからです。断ってはみたものの、「本当に断ってよかったのかな?」とか「嫌われないかな?」とか少なからず気にはなります。そんな時、いつも徒然草第112段を思い出して気を紛らわしていました。背中も押してもらえたような気さえします。
そんな超名言が隠れた徒然草第112段を紹介したいと思います!!
徒然草について簡単に解説!
まずは徒然草がどのような作品だったのかを簡単にご紹介します。
徒然草は、吉田兼好(よしだけんこう)によって書かれたといわれている随筆です。鎌倉時代末期ごろにまとめられたと言われていますが、他にも色々な説があります。吉田兼好が50代のころ書いたと伝えられていますが、若いころに書いた文章も含まれているという説もあります。
また吉田兼好が書いた、というハッキリとした証拠は残されていません。というのも、この徒然草が世の中に出たのは、書かれてから100年も後のことだったからです。
室町時代の僧・正徹がこの作品に注目して自分で書き写した写本に、この作品の作者として吉田兼好についても紹介したところから知られるようになりました。
そして正徹の弟子達や文学を好む歌人たちの間で広まり、江戸時代になると挿し絵なども入った版本が刊行されて身近な古典として親しまれるようになり、江戸時代の文化に大きな影響を与えて現代まで伝えられています。
また、清少納言の「枕草子」や鴨長明の「方丈記」と並ぶ、日本三大随筆の一つとしても高く評価されています。
徒然草の内容ってどんなの!?
続いて、徒然草の内容についてもう少し詳しく見ていきましょう。
まずはこの「徒然草」というタイトル。何も知らない人が目にしたら、植物の名前と間違えそうですよね。この「草」は「草子」を略していて、「草子」とはノートという意味なんです!
また「徒然」とは、「やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさま」という意味があります。
・徒然:やる事がなくて手持ち無沙汰な状態
・草:ノート
こうして見ると、「徒然草=ヒマつぶしノート」なんて考えても良さそうですね(笑)作者・吉田兼好のちょっと皮肉っぽい、ユーモアのある感性が感じられませんか?
それでは本文の構成はどうなっているのでしょうか?
徒然草は全部で243段の随筆によって構成されていて、上巻と下巻に分かれています。数行で終わってしまうとても短い段もあれば、長い文章で考えを語る段もあります。まるで、日記かブログみたいな感じで、日々思いつくままに書き連ねていったのでしょうね。
テーマも幅広く語られていて、生き方、友人、恋愛、旅、仏道修行、自然などなど、とにかく様々な切り口で、笑い話から人生の話まで、ユーモアをまじえたり、皮肉っぽいクールな目線で書かれた、世の中の間違いを指摘するような文章は、堅苦しくないけれど、深い思想があり、現代でも共感できる内容もたくさんありますよ。
徒然草第112段の超名言を紹介!
明日は遠い国へと旅立たなければならないという人に、心静かにするようにと、誰が言えるだろうか。突然起こった一大事に取り掛かったり、深い悲しみに沈み込んだ人は、他の事など聞き入れないし、他人の心配事や喜び事など気にかけもしない。でも、気にかけないからといって、どうしてだと恨む人もいないだろう。だから、だんだん年をとり、病気にも取りつかれ、ましては世間から遠ざかっている人も、また、こうした人と同じと言える。
毎日の生活や行事、人間関係。こうしたことは、どれをとっても捨てにくい。世間の目を気にして、なんでも義理を果たそうとしたら、願いも多くなり、見も苦しくなり、心に余裕もなくなって、一生は、つまらない義理に邪魔されて、虚しく暮れていってしまう。日は暮れた。でも、行く先は遠い。私の人生はつまずいてしまって、どうにもならないところまで来てしまっている。こうなったら、全ての関わり合いを投げ捨てなくてはならない。信をも守るまい。礼儀など考えまい。この気持ちが判らない人は、私の事を気がおかしくなったとでも言えばいい。正気じゃないと言えばいい、非情だと思えばいい。悪口を言われても気にしない。誉められても、聞き入れなどしない。
(徒然草 第112段)
一度、自分の生活に置き換えて考えてみてください。
うんうんと頷けるところもあるのではないでしょうか?
壁を感じる時、孤独になる時、人は成長する。
僕はそう信じています!!